イタリアで何人かの女性たちの話に触発され、イタリア人を日々観察するという環境の中で、私自身、自分のよいところを見つめるという発想に少しずつ切り替わっていった。というより、そうせざるを得なかったというのが偽りのないところだ。なにせ「あなたはどうなの?」とすぐ聞かれるのである。ブティックでスカート一枚買おうにも、どれが欲しいのか、どうして着たいのか、これでいいのか、これでは嫌が、それはなぜか、と矢継ぎ早に質問される。瞬時に答えるためには、常日頃から「自分はこうである」というはっきりとした意見を持っていなければ、とても対処しきれない。ミラノの女性たちにしても、誰もが美人でプロポーションがよく、ファッションセンスに溢れているというわけではない。しかし彼女たちの堂々と自分を表現したいという情熱、その気持ちの発露こそが、ファッションという「手段」を生み、それを育んできたのだと思う。後ろから追いかけていきたくなるほどの素敵さを生むのは、きっとそうした土壌があるからなのだ。