1951(昭和26)年の第1回の改訂は、最初の学習指導要領の実施状況の実態調査等を行ったうえで行われた。その一般編の序論(試案)では、学校が教育計画を立てる際に参考とすべき重要事項を示唆したものであるとしており、教師は常に創意と工夫とをもって、地域社会の実情や、児童・生徒の興味・能力・必要に応じて、これを創造的に用いねばならないとしていた。このような性格が改められるのは1955(昭和30)年からである。高等学校学習指導要領一般編が改訂され「試案」の文字が消された。そして1958(昭和33)年の小・中学校の学習指導要領改訂の際は「文部省告示」として公表された。これを境に、文部省(現文部科学省)は、学習指導要領が国家として定める教育内容および教育課程の基準としての性格を有すると強調し、やがて学習指導要領は「法的拘束力」を有するという解釈が学校現場に定着していった。
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